やっと落ち着きました。
地震発生からバタバタした日が続いていましたが、昨日辺りからやっと落ち着き始めたかな~と。
実は地震直後からどうしてもブログを書く気になれなかったのと、勿論、落ち着かなかったのもあるけど、
地震発生から12日過ぎた今日からでも書き始めようと思った。
まず思ったのは今日までの自分の行動を写真日記として書いてみます。 後で自分もこの記事を見て
今日23日までの事を思い出す為にも・・。
この場をお借りしてブログ仲間、貝泊写真倶楽部会員様の様々な情報や励ましの言葉をいただき大変心強くな
れた事に改めて御礼申し上げます。
まだまだ大変な日々が続くと思いますがどうぞお身体を大切に日々過ごしてください。
11日 地震当日 石川郡
石川郡にある結婚式場で前撮りをしていました。
和装を取り終え、華やかなカクテルドレスでの
撮影を初めて間も無く大きな地震発生。
写真のカットを撮り終えてロビーに移動した所で
大きな揺れが来ました。カップルの背景にした
後の大きなガラスが割れ間一発の所でした。
11日 夕方 いわき湯本
前撮りはカップル、スタッフ達の動揺が大きく
日を改めての撮影がその場で決定した。
夕方、地元湯本に戻りホテルの集合写真を
撮りに向かう。 ホテルも地震被害が有ったけど
キャンセルする事も出来ずに集合写真を撮る。
予定人数の半数でした。中には双葉地区のお客
さんも有りテレビ報道を見て返る方もいました。
通常なら写真を撮ってから文字入れ等の処理を
してネットでラボ発注、仕上がりをその日にお届け
する段取りなのですが、注文は済ませたけど
未だに仕上がりを取りに行っていません。
12日 石川郡
前日の前撮りに引き続き、同じホテルでの結婚式
この時期から電話が携帯を含めて繋がらなくなる。 結婚式が中止なのかどうかも分からず予定
通りにホテルへ向かう。
結婚式は予定通り行われた。中止するにしても
出席者様に連絡が取れないので予定通り行うしか
なかったようです。
勿論、花嫁さんは来館と同時に泣き始める・・・・。
暫く泣くと、こんな時だからこそ明るくと気を取り直し式、披露宴の準備を始めました。
出席者数名の欠席がありましたが、普段通り盛り上がった披露宴で関係者も一安心の1日でした。
13日 石川郡
この日も石川のホテルでブライダルイベント開催。来館予定者様に連絡が取れずイベント中止が出来ない状況でした。
来館予定者の半数の方々が来てくれました。
何時ものイベントとはやはり雰囲気が違いましたが取り合えず無事にイベントも終わりました。
参加した業者さんも被害を受けている方もいましたが、元気そうな顔が印象的でした。
14日は疲れたのか1日中家でテレビ報道を見ていました。頭の中に漠然と不安が広がりましたよ。
15日 新潟に向かう。
知っての通りガソリンスタンド、コンビニ、その他のお店は大混乱。家に居る自分と娘はガソリンを入れに中通り地方に向かいましたが営業しているスタンドは皆無・・・須賀川辺りで行き先変更して新潟に向かう事になりましたよ。
新潟の知り会いから連絡が入りガソリンと日用品を確保したとの話、今度は無駄な動きをしないで一路新潟に向かう。自分の車にも給油できました。数台並んだだけでした。
16日 貝泊に行く
地震発生から心配だった貝泊写真館の様子を知る事と水の確保に貝泊に向かいました。
貝泊写真館は何事も無かった様に無傷でした。
貝泊名物、耕土の水を沢山汲んできました。
更に原発状況が悪化してきている。
17日 東京蒲田に向かう。
女房の勤める病院が本格的に混乱を始めた。
勿論、原発状況の悪化が原因です。患者さんの避難を始めたのです。最初は患者と共に女房も新潟に向かうとの話だった。自分と娘も再度新潟に向かおうと決め、家を出てすぐに女房から連絡が入り、急遽東京に変ったと・・・。自分達も常磐道で急遽東京に向かう事になった。
仕事でマレーシアに行っていた息子が呼び戻され東京で足止めされていたのだけど、東京に向かうと連絡すると息子の会社が自分たちのビジネスホテルを確保してくれましたよ。それも一人一部屋。
18日 東京蒲田
一夜明けた。
テレビでは連日被災、被害報道。昨日辺りから計画停電の報道も加わった。
朝一番で車のガソリン補給に走る。情報は無いけど並んでもどこかで入れる覚悟でホテルを出た。
環状8号線沿いのスタンドは長蛇の列。羽田空港
近所まで来たところで大通りを外れ市街地の道路に入った・・・・所でスタンド発見!!並んで居る車も数台・・・勿論、数台後に自分も並びガソリン、ゲット。意外に早かったガソリン調達を終えホテルに戻り、蒲田駅西口駅前アーケード街を歩く。
19日 東京蒲田
予定も無く駅前を歩く。
予定も無くと言うより昼ご飯と夜ご飯を食べるお店を探すという事が目的だったかも・・・・。
長女が旦那の妹のアパート(都心、場所は忘れた)に避難していたので今日は一緒に昼飯を取る。 女房は相変らず都心で仕事をしている。
患者さんの避難先、代々木オリンピック記念公園内の施設から各受け入れ病院に患者をタクシーで運んだり迎えに行ったりと大変らしい・・・・。
何もしないで快適なホテルの部屋で自分は段々落ち込んできた。
節電の為にホテルのランドリーは使えない。
自分の下着位は自分で洗おうとお風呂の湯船を使い洗濯をしましたよ。
ビジネスホテルの10階、窓に洗濯物を干すお客は自分が始めてだろうなぁ~などと考えながらパンツを干した・・・(恥)
20日 快晴の東京蒲田
連日仕事をしていた女房が休みになった。
娘と共に新宿に向かう。
地理的には殆ど分からないのだけど、女房が寝泊りする施設に一番近い駅が参宮駅。
駅前商店街を歩いて女房と合流。
新宿駅に戻り、西口の通りで飲食店を探す。
日曜と言う事も有るのか?人通りが流石に多い。
夜は華やかな明かりが灯り更に賑わいを増すんだろうね。
計画停電・・・2時間枠での停電計画だと思うのだけれど、流石に電気が止まれば大混乱するんだろう・・・・テレビ報道のインタビューを見ていると殆どの方が被災地を思いやる言葉が多い中、中には敢えて言うけど馬鹿が沢山居る事も事実。
心無い言葉も聞いた・・死ね!!お前が!!と
本気で思った。ここ都会の電気を供給する為に地元の人が犠牲になってんだぞ。バカヤローと言ってやった。心の中で・・・。
21日 いわきに戻ろうと決めた。
雨が降り、寒い朝を迎えました。息子、娘をホテルに残し、女房は都心に残しっうより人手が無く戻れないらしい・・・自分だけでもいわきに戻る事にした。一番は小太郎と家が心配だったんだけどね。
水とガスがまだ止まっていると分かっているけど自分一人なら何とかなるとの判断です。
常磐道もいわきまで開通したと聞いていたけど、敢えて6号線を戻りました。
必要な物があったら途中で調達したいとの思いです。相変らずガソリンスタンドは長蛇の列で並ぶ気にもならない位ですよ。 茨城に避難していたしゅうさんからメルも入り今日戻ると、心強いですねぇ。
しゅうさんから送られて来るいわき情報が大変助かりました。
渋滞も無く、出だしのナビ予定時間より早く着いてしまいましたよ。
国道6号は大きな損壊も無く、通行規制も有りませんでした。北茨城の磯原でちょこっとだけ迂回が有ったくらいでした。
久し振りに会う小太郎、車を走らせながら頭の中で思い浮かべていました。感動の再会を・・・・。
ワンワンキャンキャンと大騒ぎして涙を流しながら纏わり付くんだとばかり想像していたけど・・・。
何とも大人な小太郎、思い描いていた感動の再会は無かった・・・・。ちょっと残念。
様々な事情が重なり当初は思いも寄らない東京滞在になった。避難する予定は無くいわきに居ようと決めて
居たんだけどね、今回不思議だったのは何故か自然の流れで家族が東京に集まった。特別連絡を取り合い
決めた訳じゃないのに・・・・。
ここに戻り何が出来るかわからない・・・・今朝の地震みたいに何が起こるかも分からない。
ど~しょうっうのが本音です。