いわき市貝泊写真館日記・別館

里山の日常、趣味の渓流釣り、仕事、日常感じる事を写真と共に見て頂く写真ブログです。

貴重な写真資料。

今日は震災津波で甚大な被害を受けた平豊間地区での仕事でした。 訪問したお宅も床上浸水1メートル以上、自宅母屋はかろうじて残ったものの取り壊さずリフォームしたと言っていました。 震災直後の写真を見せて頂きましたが、当時の状況写真ではガレキが足の踏み所もなく、再生が無理だと営業担当者も思って居たようです。 150年前の家、リフォームされた今、かたずけしていた母屋には貴重な資料、物が溢れていましたよ・・・・、今回は写真を見てください。
 
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  朝8時には現場到着です。仕事は9時からなので時間調整をしています、塩屋崎灯台です。
 
 
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写真屋さんが来たと見せてくれたのが昔の写真です。 津波に浸かったものの仏壇の引出しの中だったので傷みが抑えられたと話されていました。 嘉永四歳と読めます・・・ちなみに最初に言っておきますが説明に間違いがあったらご了承くださいね・・・合わせて正確な事を知っていたらコメントください。
幕末、嘉永四年の出来事として皆さんが知っている事柄と言えば 土佐藩漂流民・中浜万次郎(ジョン万次郎)、アメリカ船で琉球に上陸 した年だそうです。西暦は1851年です。
 
 
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家紋なのか?デザインなのか?前面にあしなわれた古いタンスの上に当時ハイカラだった家主の帽子がありました。 写真では伝わらないかも知れませんが、手前の麦わら帽子は触るとボロボロになりそうでした。  最初の写真の嘉永年代とはこれから紹介する写真は年代が違いますからね・・・。 以後紹介するのは昭和に入ってからだと思います。
 
 
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福島縣石城郡鹿島村と読めます。 現在の鹿島地区でしょうか・・・?養蚕だと思います。 ちなみに岩城じゃなく石城となっていて読み方もイワキとは読まずイシキ郡と言っていました。(間違っていたらすみません)知っている方がいたらコメントで教えて下さいね。
 
 
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  軍隊生活徒手体操と読めます。
 
 
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  中にはこんな写真も・・・当時のヌード写真です。
 
 
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  福島を代表する温泉です、飯坂瀧の湯温泉全景と読めます。
 
 
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  こんな写真もありました。
 
 
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  福島縣立磐城高等女学校第十八回陸上運動會と読めます。
 
 
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  磐城江名町大字長崎海水浴場です。
 
 
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  福島縣小名浜町全景です。 現在の岬公園辺りから撮った写真みたいです。
 
 
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  こんな写真もありました、関東大震災の写真です。 大正二年九月一日に起きた事がしるされていました。
 
山ほど積まれた写真を一枚一枚見る余裕はありませんでしたが、幕末から現在までを語る貴重な写真だと思いました。 自分の撮る写真も未来、何年後も残ると言う事の貴重さを感じた日でしたよ。 改めて言いますが歴史に詳しくはありません・・・間違いがあるかもしれませんがご了承くださいね、こんな写真を見れた貴重な一日でした。 写真だけをトリミングすればよいのですが、今回は写真を広げたテーブルも敢えていれました・・・写真を載せたテーブルの汚れが気になるでしょう・・・この地区を襲った津波を被った海の砂です。 写真を触ると砂でザラザラでした、そんな状況の中、奇跡的に残った写真達は後世にとって貴重な資料に成ることは間違いないですよね。