今日は・・・。
震災から2年が経ちました・・・今日はブログを書かないでいようと思いましたが、テレビを見ながら自分の二年前は何をしていたろうと思い返していました。 その日、自分なんかより大変な思いをされた方々・・・人生が変わってしまった出来事だった方々が沢山居る中、自分の出来事なんてほんの小さな事柄だと言う事は分かっています。東日本大震災及び、原発損壊の被害に未だに翻弄されている方々にお悔やみとお見舞いを申し上げます。
自分の当時を振り返ります。
震災当日、2時41分に撮った写真です。 前撮り途中の地震・・・・この後5分後に地震が来て本人達は元よりスタッフ全員が建物外に避難いたしました・・・地震は治まりましたが、新婦の動揺が治まらずこの日の撮影を中止しました。 この写真の背景は強化ガラスなのですが地震で割れていましたよ。
同日6時21分には地元いわき市湯本の某ホテルにての集合写真が入っていました。 おそらくキャンセルだろうと考えながら前撮りしていた石川町から向かいましたが、当日・・・しかも数時間前の出来事でキャンセルは出来なかったのでしょう・・・・予定通りの集合撮影でした。 この日の団体は双葉町からのお客様で刻々と流れる津波のテレビ映像を見て同窓会の会費だけ支払い、地元に戻る方も出て居ました。 結果戻れなかったと思うのですが、36名の集合写真が半分以下の15名位の集合撮影になりました。 勿論、エレベータは使えず、撮影会場の9階まで階段で上り降りした事を覚えています。
飛んで3月19日・・・。家庭内の事情が有り息子の会社が用意してくれた東京鎌田駅前のビジネスホテルに向かい正味4日の滞在になりました。 すでに鎌田駅前では義援金の街頭募金活動が始まっていました。
3月23日帰宅した。 すぐには気が付かなかったのですが、残して行った小太郎の世話を誰かが道路沿いのフェンス越しに水とご飯のトレイを付けて与えて居た事を知りました・・・。これには自分も涙が出るほどの感動を致しましたよ・・・・。因みに家を空ける前に裏の方に小太郎の水とご飯のお世話を頼んで出かけたのですが、何せ後ろ側でやっていたので表通りの方には分からなかったのでしょうね・・・。 でも、感動した事を今でも思い出します。 この日から自分は地元の沿岸部を回り写真に残しました。
4月3日。 この頃になると全国各地からの応援や応援物資が続々と地元いわき市に入って居る事が目に見えて分かって来ました。 一時は平駅前に人の通りが無かった事が嘘のように思えてきました。
4月13日・・・震災、津波、原発損壊からほぼ1か月が過ぎました。 3月11日に水道が止まり4月9日か10日に復旧したと思った矢先、4月11日の地元田人地区が震源の地震が発生・・・それからまた20日位水道の水が止まりました・・・。連日水汲みが日課になっていました。
水源を見つけて自宅までの配管を新たに作らなければいけませんでした・・・その作業は今でも、これからも二度と経験する事は無いでしょうね・・・。 残念ながらふくふく牧場の若いご夫婦はこの後放射能被害で広島に移住してしまいましたが、元気に牧場を再開している事をお知らせ致します。