ちょこっと休館します。
写真館前の休耕田の草刈も取り敢えず終わらせました。 今年二回目の草刈は9月頃かなぁ~・・・。
なぜ、農家に縁のない自分が田んぼの耕し、草刈を頑張っているか・・・? 改めて最近撮った写真を挟みながら
簡単に説明します。
2009年4月11日 いわき市田人貝泊地区に縁があって民家をお借りしました、合わせて楽天ブログ貝泊写真館日記もスタートしました。 改めて振り返ると2年後の2011年田人地区が震源の東日本大震災大規模余震の日付けと同じですね・・・。
里山で仕事を離れ一人ぼんやりしたいとの想いでした・・・当時は携帯も繋がらず、有線電話も無く、テレビも無く、ガスも無い、取り敢えず電気だけは来ている写真館が理想の場所でした。
写真は貝泊やまぼうしの家直売所に貼られている最近出来上がったポスターです。 写真を撮ったのは1年以上前なんですけどね・・・。
話を戻します。
民家内の方付けや手直し作業が楽しかったのを覚えています。 一人黙々と作業を続ける事が日常のストレス解消には最適でした。 当時の貝泊写真館ですhttp://plaza.rakuten.co.jp/kota3311/diary/200904210000/
当時、道路、小川を挟んだ休耕田の景色は荒れ放題で写真館窓から見える荒れた光景が気になっていました。
囲炉裏で炭を焚きながら景色をぼんやり眺める事が続いていたのですが、思いつきで目の前の荒れた休耕田をお借りして花畑を作ろうと思ったのが、休耕田をお借りするきっかけでしたよ・・・畦道の草刈りをするから無料で貸して下さいと・・・。
貝泊やまぼうしの家で提供されている食事です・・・今回は鳥の唐揚南蛮茄ちゃらかという定食でした。 普通の唐揚だと思いましたが・・・(笑)
話を戻します。
荒れた景色を花畑に変える為に休耕田の整備が大変でしたよ。 今はトラクターで耕してしまいますが、当時は雑草どころか、樹木も育っていて、そんな樹木を切り倒す事から作業が始まりました。
当初は菜の花畑を作ろうと種を確保し挑戦したのですが・・・最初の年は見事に失敗しました。 広い休耕田の隅にポヨポヨと花が出ただけでした・・・悲しかったといより笑えました。
で、次の年に挑戦したのがコスモスの花でした・・・一度種まきをしたら次の年からは自然に発芽し、手間がかからないという理由からです。 1年目は見事に成功しましたが、2年目、3年目を迎えるとコスモスが自然消滅していきました。 原因は雑草に負けてしまうんですよ・・・雑草と同時期に芽生え、育つのですが、雑草の強さには敵わないんでしょうね。
里山も好きですが海の景色も好きです。
話の続きです。
去年1年は、休耕田のコスモスの状況を見ていましたが、やはり雑草が主役になっていました・・・で、決めたのが当初計画した菜の花畑の復活です。 何の知識も無く思い付きで始まった花畑計画・・・最近は少し考えるようになりましたよ。
菜の花は雑草と違う時期に発芽し、育つ為に除草効果もあると言う事を知り、最初にそんな知識を持っていれば菜の花を継続したのに・・・などと思う今日この頃ですよ。
特にコメント無しです、ある日の貝トラくんです。
話の続き・・・。
今年は初秋の種まきに向けて準備しています。 コスモス花畑の時に応援してくれる方々を絡めた作業もしましたが、今現在は一人で作業をしています。 人を絡める事の難しさとストレスを感じる事を経験しましたから・・・。
ならば一人作業の方が気楽だと考えたからです。
まっ、種まき作業をイベントのように開催しただけですが、それでもプレッシャーは強かったです。 当初から草刈や事前準備などは一人作業だったんですけどね・・・。
貝泊地区のマスコット、やまぼうしです。 盛りはもう少し後になりそうですが花のように見える総苞片という4枚が白くなるのは間近です。
話の続き・・・。
休耕田をお借りした理由と数年の足跡をおおざっぱですが書いてみました。 今年も失敗に終わるかもしれません・・・でも、それはそれで良いと思っています。 全て自分ひとりの作業、そして判断・・・失敗したとしても誰からもプレッシャーを受けていないので気楽です。
休耕田を貸してくれた農家さんにとっても花畑が成功しょうが、失敗しょうが関係なく、一番は田んぼを荒らさないとい事が大切な事なんです。
合せてお借りしている民家(貝泊写真館)も建屋を壊さない限り何をしても良いと言う事でお借りしました。 休耕田同様、人の手が入らない空家は直ぐに痛みます、ならば人に貸していた方が痛まないと言うのと同じ事です。
やまぼうしの木です・・・ミズキ科。
昨日、自宅の仕事部屋からの空です。
流石に疲れました・・・貝泊写真館ちょこっと休館します。